「ヒトは時を超え、時間軸を移動できるのか?」(読み物)

はじめに、これは悲しい事実ですが、現実にはタイムトラベル
もタイムリープも永遠に実現できない可能性が極めて高いです。

そして、我々が存在するこの空間には、物質も、生命も、意識と
いった物も、この世にはただ一つしか存在しえないのではない
でしょうか。
だからこそ全ての存在には何物にも代えがたい存在価値がある
と言えるのです。

我々人類は、流れる大きな一本の川の中を上流から下流に流れて
いるにすぎず、そこには過去や未来が物理的に存在しているはず
はなく、ただただ、”今”だけが無限に存在し続けているのでは
ないでしょうか。

まず、時間というものは人間が単に利便性の為に作りだした単位
にすぎません。

地球には場所によって時差というものがありますが、地球上のどこ
に存在していようとも”今この瞬間”は世界共通です。

事実、現代のネット社会においてはこの同じ”今”を地球の裏側
の人達と共有し、コミュニケーションが取れているのが、まぎれも
ない事実であり、現在はまだ利用価値のない”地球時間”という
単位が将来、使用されるようになれば、地球上のどこにいようとも
午前9時は、午前9時となり、時差というものは意味をなさなくなる
のです。

もし、人類が将来、技術的に光の速度を超えたとしても、それは
極めて短時間に膨大な距離を移動する事は実現可能でも、時間の
壁だけは絶対に超える事が出来ないのです。

もし、タイムトラベルが実現可能であると仮定した場合、そこには
一分前の自分、二分前の自分、三分前の自分が同時かつ物理的に
存在している事となり、その自分には肉体も意識も魂も存在している
筈で、タイムトラベルをした自分と、過去や未来の自分は完全な
同一の存在ではありません。
つまり、自分と同じでありながら、同一ではない存在が数えきれ
ない程の数、物理的に存在しているという事になってしまうのです。

それだけではなく、その時間ごとの宇宙や地球、そこに生きる我々
人間といったあらゆる意識と物質が全て物理的に存在するという事
にもなります。

これはどう考えても現実的ではなく、もしも、そうなるとして、その
場合は自分という存在も宇宙も数えきれないほどに無数に存在する事と
なりますので、自分は無数に存在する自分という人間のなかのただの
一人にすぎなく、命や意識といったものはその価値を失ってしまうの
ではないでしょうか?。

それ以外にも、例えば自分の意識のみを別時間軸に移動した場合は、
移動先の時間軸ですでに自分が死亡している場合は自分の意識はどうな
ってしまうのか?、宙ぶらりんになってしまうのでしょうか?。
それとは逆に、移動先の時間軸にも自分が生存していた場合、移動先の
自分の中にも自我があり、意識をもって生きている訳で、元の意識は
一体どこへいくのかという大きな矛盾が生じてしまいます。
つまり、都合よく意識だけを別次元の自分と入れ替えるというのも、
あまりにも、現実的ではなく、時間軸の移動は人間の願望に過ぎない
のがお判りいただけるのではないでしょうか。

例として、もしあなたがAさんというかけがえのない恋人を亡くした
後に、何らかの方法でタイムリープをしたとしても、Aさんが生きて
いる世界線と、Aさんが亡くなった世界線はどちらも消えずに、並行
して存在し続けている事となり、つまり時間軸を移動できたとしても
それはあなたが自分にとって都合の良い世界線を見ているだけとなり、
それは自己満足以外の何物でもないのです。
たとえ、自分だけが時間軸を移動できたとしても、別の時間軸には間
違いなくAさんが亡くなった世界線も同時に存在し続けているのです
から。

次にパラレルワールドを否定して、時間という大きな川が一つしか存在
しないと仮定した場合でも、未来の人類が技術的にタイムトラベルを
実現させた場合には、その時には枯渇しているであろう、資源を過去に
求めるのは自然の流れであり、地球外の宇宙を開拓するよりもずっと
簡単に膨大な資源を手に入れられる方法となりますので、どの国も国を
上げてその実現に取り組むのではないでしょうか。
過去をさかのぼり続ける限り、資源は無限に存在している筈ですので、
際限なく奪い続ける事が出来るのですから。

ですが、歴史上、我々の知る限りは未来人が略奪に訪れたという事実
は、ただの一度もなく、未来に人類がタイムトラベルを実現させている
可能性はほぼ、無いのではないかという事に行き着いてしまいます。

そもそも、単純に過去の資源を未来に持ち帰った場合に、未来へと
持ち帰ったその資源は存在しうるのかという疑問が生まれますし、
ある程度の質量以上の物質は時間移動できないとした場合には、過去
に戻るという行為の必要性が完全に無くなるのです。

そして、些細な干渉でさえ歴史が大きく変わりかねない、ハイリスク
なタイムトラベルをただの観光で未来人が利用しているという考えも
無理がありすぎていて、非現実的な事であると言えるのです。

それに歴史を変える為にタイムトラベルをした未来人が歴史に何らか
の関与をしているのあれば、ヒトラーは国家元首になる前に暗殺
されていたでしょうし、逆にケネディ大統領が暗殺されることは無か
ったのではないでしょうか。
それらの事実を考えると、歴史は一つしか存在しえないと考えるのが
自然であり、これがただ一つの真実なのではないかと感じるのです。

仮にタイムトラベルをした人間の肉体と意識だけは問題なく移動できた
としても、身に着けている衣服なども時間移動できるのか?、そもそも、
タイムマシンの機械は全て無事に時間を移動できるのか?、という疑問
というより大きな矛盾が生じますし、たとえタイムトラベラーが移動で
きたとしても、過去にその機械は当然存在しませんので、未来に戻る
方法も無くなり、タイムトラベルという概念自体が、人間が都合よく
考えた想像上の願望にすぎないという考えに帰結されてしまいます。

そして、パラレルワールドが存在すると仮定した場合でも、時間移動、
時間軸移動は前述のとおり、自身がどこに存在していたいのか、何を
見ていたいのかという主観的な利点しか見出すことは出来ず、それは
ほとんど意味をなさない行為となるのです。

最後に、今を生きる我々が現実的に時間を超える方法が一つだけあります。
それは、自分の肉体を完全な形で冷凍保存して、適切に保存された状態で
100年以上経った後に蘇生してもらう方法です。
海外にはその様な企業があり、実際に冷凍保存されている方達がいるよう
です。
もし100年以上が経った時に無事に解凍、蘇生が成功すれば、あなたも
100年後の景色をその目で見る事ができるのかもしれません。


著者:naya
作成日:令和6年7月21日

2024/7/21